2021-10-11 第205回国会 衆議院 本会議 第3号
厚生政務次官時代には年金や医療の制度改革、子育て支援、介護保険の導入に取り組みました。小泉内閣で内閣府副大臣・総理大臣補佐官、第一次安倍内閣では総理大臣補佐官として経済成長や国家戦略に取り組みました。国会では衆議院経済産業委員長、党では広報本部長などを経験させていただきました。 特に思い入れがあったのは第二次安倍内閣の際の復興大臣兼福島再生総括大臣です。
厚生政務次官時代には年金や医療の制度改革、子育て支援、介護保険の導入に取り組みました。小泉内閣で内閣府副大臣・総理大臣補佐官、第一次安倍内閣では総理大臣補佐官として経済成長や国家戦略に取り組みました。国会では衆議院経済産業委員長、党では広報本部長などを経験させていただきました。 特に思い入れがあったのは第二次安倍内閣の際の復興大臣兼福島再生総括大臣です。
そのとき、私は厚生政務次官をやらせていただきました。 そして、社会保障制度を将来の世代にしっかり伝えるために取り組んできた社会保障と税の一体改革。私は、これが非常に大きいと思います。 そして、もう一つは、直近でいえば、多様な働き方を選択できる社会を実現するために労働制度の抜本改革を行った働き方改革。 この三つ、まだいろいろありますけれども、これを挙げたいと思います。
そして、かつて厚生政務次官も務めておられた社会保障政策のプロであり、卓越した知識と経験を有する根本大臣に引き続き厚生労働行政をリードしていただくことこそ、我が国にとって最善の道であります。 厚生労働大臣の不信任を求める理由は全くありません。そのことを重ねて申し上げ、良識ある衆議院の皆様に対し、このような決議案を断固絶対に否決していただくことを求めまして、私の討論を終わります。(拍手)
根本大臣は厚生政務次官やられて、そのときにNAISの会もやられたわけですから、委員は、私が聞いていると、やっぱり、大臣はどう考えている、大臣の思いはどこにあるんだということをこの委員会質疑を通じて聞きたいということを強く感じますので、その点は今後是非思いを語っていただきたいと私は思います。 そこで、この国の最大の問題はやっぱり少子だと思います。
私の体験から言えば、私が厚生政務次官をやったときに年金改革というのがあった。ただ、その年金改革の、こういう改革をするんですよという説明が極めて難しくてわかりにくいので、我々NAISグループで、どうやったら国民の皆さんが納得できるか、どうやって我々が説得できるか、これを徹底的に議論して、あのときに年金改革七つのポイントというのをまとめて、そして、我々、これで説明しようではないかと。
私も、当時、誓いの碑を玄関前に設置したときに、ちょうど、平成十一年八月でしたから、私も厚生政務次官を務めておりました。 改めて、誓いの碑の精神を原点として、命の尊さを心に刻んで、高い倫理観を持って医薬品の安全性、有効性の確保に全力を重ねてまいりたいと思います。
私が厚生政務次官のころだったと思います。口腔ケアと全身の健康は非常に密接な関係にあるんだ、そういう調査もやっていた時代、やり始めた時代だったと思います。あのとき聞いたのは、寝たきりの高齢者が入れ歯をしたら突然立ち上がったんだ、こういう話も聞きました。
以来、九回の当選を重ね、院においては厚生労働委員長、外務委員長、東日本大震災復興特別委員長を、政府においては環境大臣、外務副大臣、厚生政務次官などを経験させていただき、昨年八月、東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当大臣を拝命いたしました。 私が初当選したときの最大の政治課題は政治改革でありました。大変激しい党内論争、党内対立の末に政界再編が起こり、やがて小選挙区制度へと移行しました。
この間、木村先生は、衆議院におきましては、逓信委員長、厚生委員長及び災害対策特別委員長等の重責を担われ、また、厚生政務次官及び厚生労働副大臣として国政の中枢に参画され、その卓越した政治手腕を遺憾なく発揮してこられました。 このように、木村先生は、高い見識と豊かな政治経験に基づき、我が国の議会政治発展のため多大の貢献をしてこられました。
それで、私が新聞を見る限り、すごく多いのが、歴代の厚生大臣経験者、厚生政務次官、副大臣というのはなかったかな、政務官という方が多いんですよ。だから、ぜひ僕はこれは公表してもらいたいと思う。それで個人情報と言うから、僕は個人情報なんてとても思わない。公的人間の公的義務の履行の状況が個人情報なんかに該当するわけはないと思う。ただ、どうしてもあなたの立場で言えないんだったら、匿名でいいんです。
かつて女性の厚生政務次官が問題だと言っても直らなかったらしいんですけれども、私は、区役所、区長とそれから自民党の部会で公言して、十カ月不払いをして、年金は払って納めていますけれども、健康保険の不払いを十カ月やって、もめにもめまくって、そして本人への通知という当たり前といえば当たり前の形をつくったことがございます。
木村議員は、厚生政務次官そして厚生労働副大臣を歴任しており、大きな影響力を持っていたことは容易に推察ができるわけなんです。報道では、二〇〇〇年四月ごろから二〇〇一年にまで、長期にわたって厚労省職員に対して木村議員の要求が続いていたということです。 これは事実なのでしょうか、政府参考人の答弁を求めます。
厚生政務次官、厚生労働副大臣では、根本匠氏百二十万、南野知惠子氏は連名で十万円、鴨下一郎氏二百万円、木村義雄氏百七十万円。 それから、この法案に関する与党のプロジェクトチームのメンバーでいいますと、佐藤剛男氏百万円、持永和見氏二百三十万、塩崎恭久氏二百十万、園田博之氏百万。このように、非常に関係する与党議員や歴代のこの二つの省の幹部に献金が行われております。
副大臣は、厚生政務次官や厚生常任委員長などを歴任した自民党厚生族の有力者だというふうに私は認識しておりますが、社団法人日本柔道整復師会の会報、日整広報百二十四号には、一九九六年第八回理事会で、香川県接骨師会会長である山田理事から木村義雄衆議院議員が顧問に推薦され、同理事会で承認されたと報告されております。副大臣もそのことは御承知だと思います。
木村さんの政治資金を見ると、どんどん、厚生政務次官、それから厚生委員長、副大臣、出世とともに献金額もアップしていますね。それで、副大臣の本年収入額が約一億四千万のうち、医療関係者からの合計が三千万ある、二一・六%ある。
和田 洋子君 沢 たまき君 渡辺 孝男君 畑野 君枝君 林 紀子君 ───── 議長 井上 裕君 副議長 菅野 久光君 ───── 政務次官 厚生政務次官
昭次君 福本 潤一君 畑野 君枝君 林 紀子君 田名部匡省君 衆議院議員 修正案提出者 平野 博文君 国務大臣 国務大臣 (科学技術庁長 官) 大島 理森君 政務次官 厚生政務次官
一方、今、厚生政務次官からもお話がございましたように、医療行為を所管する厚生省としての立場での議論というものが一つあるんだろうと思いますし、そこでの議論は当然に各省庁、どんな社会であってもやっぱり組織というのがある限り相互調整、お互いの調整というのは当然必要であって、そういう意味では省庁間の情報交換にも配慮しなきゃならぬ。 それから、連絡会を開催しております。
松崎 俊久君 山本 保君 井上 美代君 清水 澄子君 堂本 暁子君 西川きよし君 国務大臣 内閣総理大臣 森 喜朗君 厚生大臣 津島 雄二君 政務次官 厚生政務次官
この機会にお許しを得て、先ほどからのお話でありますが、私の出身、青森県の状態について、御指摘のとおりでありまして、実は私が昭和五十六年に厚生政務次官になったときに最初に恥ずかしい思いをしましたのは、衆参どっちの委員会でございましたか、そのときに、ここに並んでいる大臣、大臣は森下大臣、徳島県。私、並んでおりましたが、そのときに発表になりました寿命では、男女並んで最下位でございました。
○国務大臣(津島雄二君) ちょうど老人保健制度を国会に提案いたしましたときに私は厚生政務次官でございました。今、今井委員が分析をされたような事情であったと思います。 印象的に申し上げますと、最初のころは下に書いてあるようにくっついているような感じのイメージで始めたんですが、だんだん今の上のA案のように分けてきたというのが実態だと思います。
堀 利和君 松崎 俊久君 山本 保君 井上 美代君 清水 澄子君 堂本 暁子君 西川きよし君 国務大臣 厚生大臣 津島 雄二君 政務次官 厚生政務次官
(総務庁長官) 続 訓弘君 国務大臣 (防衛庁長官) 虎島 和夫君 国務大臣 (経済企画庁長 官) 堺屋 太一君 内閣官房副長官 内閣官房副長官 上野 公成君 政務次官 大蔵政務次官 七条 明君 文部政務次官 鈴木 恒夫君 厚生政務次官